朝霧高原の酪農

 

 

 朝 霧 高 原 の 酪 農

 

朝霧高原には湿度を多く含んだ気流が流れ込みやすく、標高も平野部よりも高いこと、富士山と毛無山を始めとした山々に挟まれているといった特殊な地形のため、気温が1日で最も下がる朝方によく霧が発生することが地名の由来となっています。

朝霧高原の酪農

1946年、朝霧高原に緊急開拓事業の国営開拓地として、現長野県阿南町を中心とした15歳から20歳の青年が、集団入植したのが始まりです。1954年に国から乳牛のジャージー種250頭余が導入され酪農地域としての第一歩を踏み出しました。


管内酪農の状況(2019年)

1965年後半から大規模な草地の改良を行い、飼料基盤の整備と共に新しい施設の建設も進み、より生産性の高い乳牛のホルスタイン種への移行と相まって、現在の酪農地域としての基盤が確立し、1975年前半にかけて自給飼料の生産向上を図るため、国の補助事業を活用し大型機械が導入され、農業機械を共有する事で自給飼料生産の合理化が図られました。
1983年から1989年にかけ国の事業により草地や施設の整備、高性能の大型機械の導入をし、酪農専業地域として名実共に発展してきました。

 

 

 

 管 内 酪 農 の 状 況 (2022年)