朝霧高原の酪農 | 朝霧の酪農のご紹介

朝霧高原の酪農 | 朝霧の酪農のご紹介

1 朝霧高原の自然

朝霧高原には湿度を多く含んだ気流が流れ込みやすく、標高も平野部よりも高いこと、富士山と毛無山を始めとした山々に挟まれているといった特殊な地形のため、気温が1日で最も下がる朝方によく霧が発生することが地名の由来となっています。

2 開拓の歴史

「朝霧高原」は源平時代、源頼朝が巻狩りをしたことで有名ですが、1935年頃まで旧八ケ村の入会地として周辺農家が草を刈り取るために利用していた原野でした。1937年に旧陸軍の演習地として接収され、終戦まで旧陸軍少年戦車兵学校の演習地として使われていましたが、1946年、緊急開拓事業の国営開拓地として自作農家創設事業が開始され、主に現長野県阿南町を中心とした15歳から20歳の青年が、分村計画に則り集団入植し、一面のススキ原に鍬を入れたのに始まります。
1946年から1949年にかけては、国営事業を中核に厳しい開墾作業を共同生活で実施した時代であり、食糧増産中心の農業でしたが、栄養分の無い土で満足な肥料や作業機もなく、「穀物は実らず、葉物は茂らず、根物は太らず」の極めて厳しい時代でした。1950年頃からは、新たに畜産農業への転換を図りました。1954年に国からジャージー種250頭余が導入され酪農地域としての第一歩を踏み出すと、この頃から共同生活から個人住宅の建設、個人経営に移行した時代でした。
牛舎は無く野草地への放牧が主体で、冬には乾草が少なく野草の伸びる春を待ち焦がれていました。
1965年後半にかけて大規模な草地の改良を行いました。飼料基盤の整備と共に新しい施設の建設も進み、より生産性の高いホルスタイン種への移行と相まって、現在の酪農地域としての基盤が確立されました。この時期から経営の拡大を志向する農家が増加した反面、小規模農家の離農も目立ち始めた時代でした。
1965年後半から1975年前半にかけて自給飼料の生産向上を図るため、国の補助事業を活用し大型機械が導入され、農業機械を共有する事で自給飼料生産の合理化が図られました。更に、1983年から1989年にかけ国の事業により草地や施設の整備、高性能の大型機械の導入をし、酪農専業地域として名実共に発展してきました。

3 管内酪農の概要

生乳生産量は静岡県下の生乳生産量の約45%を占めています。
また、体験酪農の受入なども行っており、国内でもトップレベルを誇る酪農体験をすることが可能となっています。

2014年

  • ●酪農家戸数 49
  • ●乳牛総飼養頭数 4,381
  • ●草地総面積 700ha
  • ●生乳総出荷量 31,972トン

4 富士ミルクランドの創設

富士ミルクランドは、1996年に富士開拓農業協同組合の資本により建設されました。 園内には酪農体験をできる宿泊ロッジや、朝霧高原産の生乳をふんだんに使い高品質なチーズやアイスクリームを製造する工房、地元の野菜や畜産物をメニューに取り入れたレストラン、バーベキュー広場、美術館、ドッグラン、農産品直売所とたくさんの施設があります。
動物ふれあい広場では乳搾り体験や小動物や家畜とふれあうことができるので、楽しく酪農体験ができます。
そのほかにも毎月様々なイベントを定期的に開催しています。入場無料ですので、富士宮に来たときは是非気軽に寄ってみてください。

富士ミルクランド〈http://www.fujimilkland.com〉